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まず、このページの背景をよく見てみてください。
この樹は杜松(としょう)といいます。樹齢は250〜300年といったところです。
岐阜県東濃地方で山採りされたもので、鉢に入ってからは80年くらいの歳月が経っています。
この白い幹、じつは死んで(白骨化)いるのです。いくら待ってもここから新しい芽が出ることはありません。
これは、この盆栽の大きな見どころとされている『舎利』(しゃり)と言われる部分です。
『舎利』というのは、樹が成長する過程で、幹の一部分が傷ついたり折れたりして腐り、長い年月の間に樹の中心の
硬い芯の部分があらわになったものです。
この樹は山にあったとき、雪や雷でこの部分が腐っても、山の斜面で風雪にさらされながら力強く生きてきたからこそ、
味わい深い舎利幹(しゃりかん)を持つことができたのです。
『舎利』とはまさに、
時間の流れと自然の厳しさがつくりあげた、樹の美しい表情なのです。
では、なぜ幹が死んでも青々とした葉をつけることができるのか??
よく見ると、『舎利』に添うように、茶色い幹があるのがわかりますか?
これは『水吸い』と呼ばれるもので、根から水を吸い上げている部分です。
この水吸いの部分があるから、この樹は『いのち』を繋ぐことができるのです。
舎利と水吸いは、自然の織り成す生と死のコントラストです。
どんなに厳しい自然の中でも生命が息吹く姿、朽ちる部分があっても生命を繋いでいく凛とした逞しさを目の当たりにすると、
この盆栽の気高さや品格を感じとることができるでしょう。
その姿からは、自身の『心のあり方』について考えさせられるかもしれません。
さて次に、盆栽の歴史ですが、第2次世界大戦下においては、盆栽をリヤカーに乗せ逃げ回った多くの人々の手に守られて、
今日の名作品が受け継がれています。
その雄大な姿は観る人を圧倒する美しさを今も誇っています。
昭和の初めというのは、盆栽が広く社会全般へ広がりまた政界人・財界人の多くが盆栽を趣味としていた時期でした。
昭和9年から現在まで続く「国風盆栽発展」の第一回目が開催されています。
平安時代の日本の絵巻物には、すでに盆栽の前身となる「盆景」が描かれています。
室町時代後期にお茶の栄えと共に広く発展し、江戸時代には多くの大名たちの間で流行し愛されていました。
政財界において、吉田茂氏や岸信介氏、戦前の日本の石油王といわれた中野忠太郎氏など,蒼々たる人物が盆栽を
趣味としていたのです。
そして、今日の盆栽の基本が作られたのは明治天皇の影響が大きいようです。当時、明治天皇を中心とした、
維新の志士が集まる関西で名高い「剣菱」の酒蔵には盆栽があったそうです。それは史実として現在も残っています。
武士の精神、禅の精神、お茶の精神、そのような精神世界の中に盆栽も位置付けられていたのでしょう。
だからこそ、昔の人の盆栽に対する美意識は高いのです。
その美意識とは、梅なら梅、松なら松の樹種の本質を見抜き自然を理解し、
極限まで無駄なものがそぎ落とされた姿・形(樹姿)、
その凛とした佇まいの中に自然の本質というものを見出します。
盆栽は、何世代もの人の手を渡り、人間の一生を遥かに越えて美しさと、
そして確かな生命の息き吹きを放ち、見る者に感動を与えます。
自然と人と時間がつくるその静なる力は日本が世界に誇れる悠久の生きた芸術であり文化なのです。
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